最近、季節の移り変わりのせいか
頭痛が止まりませんw
皆様も体調の変化には、
気をつけてくださいね!
さて、土曜日放送の
「スイッチインタビュー」で、
日本初のドクタ-カ-専用の診療科を
設立した間渕則文さんが
歌手のさだまさしさんと対談する
そうですね。
どんなことを話すのか気になりますw
なので、今回の記事では
ドクタ-カ-を日本で初めて
実現させた間渕則文さんの
大学や経歴、家族について
調べて簡単にまとめて
いきたいと思います!
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間渕則文さんとは?
名前 :間渕 則文
読み方 :まぶち のりふみ
生年月日 :1958年7月
出身地 :愛知県
大学 :名古屋市立大学医学部
間渕則文さんは名古屋市立大学医学部を
卒業後に名古屋大学で麻酔医になったそうですね。
ドクタ-カ-に乗っているイメ-ジが強すぎて
てっきり救急救命あたりが出身と
思っていたのですが麻酔医だったんですね。
その後は、救命医になり海外に
医者として行っていたそうなんですが、
その海外勤務の時ドイツで初めて
ドクタ-カ-と出会い、
日本に専門の診療科を
作ったそうです。Σ(・ω・ノ)ノ!
ドイツで見ていいと思ったものを
すぐに日本に導入するなんて
かなりすごい行動力ですね!
日本は、ドクタ-カ-を導入することにより
心肺停止した患者の蘇生率が3倍に
上がったそうです!
この実績はかなりすごいですね!
ここまで、ドクタ-カ-の説明を
していなかったですねw
なので、簡単にですが
ドクタ-カ-について
少しまとめたいと思います!
ドクタ-カ-とは?
ドクタ-カ-とは、普通の救急車とは違い
医師や看護師が乗っていてすぐに本格的な
処置を開始することができます!
とても心強いですね!
救急車で救急救命士が行う医療処置は
大幅に制限されたものであり、
基本的に応急救護だけをしながら病院へ
搬送することが任務となっています。
しかし重症であればあるほど緊急治療を
早く始めた方が効果的です。
中津川市ドクターカーは、
医師・看護師が自らハンドルを握って緊急走行し、
皆さんのお茶の間、枕元から救命医療を提供します。
今後事前訓練を踏まえ、1月31日から試験運用を開始して、
年度内には24時間稼働の本格運用を目指します。
今後、ドクタ-カ-が
全国の救急病院で増えてくるといいですね!
家族や年収は?
間渕則文さん医師の家系に生まれていて、
父が薬剤師、祖父が医師だったそうです。
間渕則文さんがドクタ-カ-をしようと思ったのは
祖父の存在が大きかったそうです!
「このじいさんは、70才を超えてから、それまでやっていた町の医院を、ぼくの叔父に任せて、静岡県の無医村に入って診療所をやっていたんです。それで、ぼくも同じように好きなことをしたいって。で、たどり着いたのがここ中津川だったんですよ」
これまでやっていた町医者を叔父に任せて
無医村に入り診療所を始めるなんて
かなりの行動力ですね!
間渕則文さんの行動力は
きっと祖父譲りなんですね~
とても素敵なおじいさんだったんでしょうね!
年収は?
勤務医の一般的な年収は
1000万〜2000万くらいと
言われているので、
間渕さんクラスになると
おそらくですが、
2000万は超えていて、
3000万くらいはある気がします!
最後まで読んでいただきありがとうございました!